【死去】小野田 寛郎(おのだ ひろお)91歳 戦後29年後帰国の元陸軍少尉 [戦争]
1月16日小野田 寛郎(おのだ ひろお)91歳が亡くなったことが分かりました。
6日から肺炎のため入院していたそうで、葬儀はまだ未定とのことです。
親族で密葬をする予定とのことでした。
小野田さんといえば、フィリピン・ルバング島のジャングルで、太平洋戦争終了後も29年間、潜伏し、生還した元陸軍少尉として、世間に広く知られていました。
小野田さんは和歌山県で生まれ、1944年(昭和19年)に情報将校としてフィリピンへ派遣されました。
戦争が終わったにもかかわらず、
任務解除の命令が届かなかったため、ルバング島の密林に潜伏し続けており、
1974年に元上官らの任務解除命令を受けて救出され、3月12日に帰還したのです。
二度戦後に捜索されたことがありましたが、いずれもアメリカの作戦だと思い、
姿を隠し続けたそうです。
最初に小野田さんを発見したのは鈴木紀夫さんいう方でした。
彼は24歳の時に、ルバング島へ行き、小野田さんを発見します。
定職に付かず、夢は「パンダと小野田さんと雪男を見つけることが雪男を見つけること」という不思議な少年です。
そして、帰国後、1982年、ルバング島での経験を基に「小野田自然塾」を開設するのです。
自然の大切さや、目的を持ってたくましく生きることなどを青少年に教え、社会に貢献してきました。
戦場を撮り続けるフォトジャーナリストの嘉納愛夏さんは、
ハフポスト日本版で小野田さんから「目的を持って生きること」の大切さを学んだと述べています。
小野田さん長い間お疲れ様でした。
ご冥福をお祈りいたします。
6日から肺炎のため入院していたそうで、葬儀はまだ未定とのことです。
親族で密葬をする予定とのことでした。
小野田さんといえば、フィリピン・ルバング島のジャングルで、太平洋戦争終了後も29年間、潜伏し、生還した元陸軍少尉として、世間に広く知られていました。
小野田さんは和歌山県で生まれ、1944年(昭和19年)に情報将校としてフィリピンへ派遣されました。
戦争が終わったにもかかわらず、
任務解除の命令が届かなかったため、ルバング島の密林に潜伏し続けており、
1974年に元上官らの任務解除命令を受けて救出され、3月12日に帰還したのです。
二度戦後に捜索されたことがありましたが、いずれもアメリカの作戦だと思い、
姿を隠し続けたそうです。
最初に小野田さんを発見したのは鈴木紀夫さんいう方でした。
彼は24歳の時に、ルバング島へ行き、小野田さんを発見します。
定職に付かず、夢は「パンダと小野田さんと雪男を見つけることが雪男を見つけること」という不思議な少年です。
そして、帰国後、1982年、ルバング島での経験を基に「小野田自然塾」を開設するのです。
自然の大切さや、目的を持ってたくましく生きることなどを青少年に教え、社会に貢献してきました。
戦場を撮り続けるフォトジャーナリストの嘉納愛夏さんは、
ハフポスト日本版で小野田さんから「目的を持って生きること」の大切さを学んだと述べています。
小野田さん長い間お疲れ様でした。
ご冥福をお祈りいたします。
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